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訃報 ルーサー・ヴァンドロス死去

7月1日かねてから脳卒中で闘病中だった
世界最高のR&Bシンガー、LUTHER VANDROSS(54歳)が
ニュージャージー州エディソンのJFKメディカルセンターで
現地時間午後1時47分死去しました。

この深い悲しみをお伝えしなくてはならない現実が辛いです。

ルーサー・ヴァンドロスはニューヨーク出身、
類稀なるヴォーカル・パフォーマンスで80年代から現在に至るまで
常にスーパースターであり黒人音楽の父でした。
影響を与えたアーティストはR&B、SOULを始めHIP-HOP、
ROCK、POPSまで実に幅広く
アルバムのみのセールスで2500万枚以上の偉業を成し遂げた
真のスーパースターでした。
ルーサーの存在が今日のアメリカのミュージックシーンを
支えたと言って過言で無いでしょう。

2003年4月16日、ニューヨーク市内の自宅アパートで病に倒れ
ファンは勿論、多くのシンガーやプロデューサー等
アーティストが1日も早い復帰を祈り続けてきました。

長い昏睡状態の中、同年5月には幼い頃からの憧れのアイドルであり
現在親友のアリサ・フランクリンが教会で彼の復活を一晩中祈り
アメージング・グレースを歌い、その甲斐あってか
身体に障害が残ったものの重篤の状態を脱したルーサーは
電話越しに母、アイダに歌いかけるなど
順調な回復を見せていました。

2004年のグラミー賞授賞式では
自ら受賞台に立って感謝の意を伝えたいと懸命にリハビリに努めたものの
ロサンゼルスまでの道のり等を考慮し
ビデオ・メッセージによる出演となりました。
大きな体に溢れる優しい微笑み。
近いうちに復帰を果たしファンの前で歌うと語ったルーサー。
残念ながら公に姿と肉声を残したのは
これが最後となってしまいました。

先日、解散が決まったデスティニーズ・チャイルドのビヨンセ・ノウルズは
ルーサーとのコラボレート曲Closer I Get To Youについて
次のように語っていました。
「ルーサーと共演できるのは夢のよう。光栄だし、今までに無く良く歌えた。
だって私、ルーサーと歌ったのよ!」
アッシャーは「ルーサーは我々黒人が誇るスーパースター
僕も早く彼のようになりたい」
JOEは「僕にとってマーヴィン・ゲイが神ならルーサーは誇るべき父だよ」と
現在の全てのスターが全幅の信頼をおき
常に憧れと誇りに感じていたルーサー・ヴァンドロスの若過ぎる死は
情報が伝わるに連れ、より深い悲しみを運ぶでしょう。

TheMusicFileホストAndrews Hatterは今般の訃報について
次のように答えました。

「今年の初めからルーサーの復帰が伝えられていた中
突然の訃報に悲しくて涙が止まらない。ルーサーは私達の宝だった。

歌も上手いし、ライブパフォーマンスも素晴らしい。
それ以前に常に人に敬意を払い、人を大切にし、家族も大切にした。
人間として尊敬できる偉大な人物だ。

DanceWithMyFatherで自分の父親の死を悼んだ1曲を
披露し世界中の涙を誘った日から長くないこの時期に
ルーサー本人が逝ってしまう事を誰が予想しただろうか?

もっと長く生きてほしかった。

飛行機嫌いで日本の土を生涯踏む事なく終わったルーサー、
僕がニューヨークに帰る時は日程が合わず1度も生のパフォーマンスを
見ていない。
復帰第1弾は何とかニューヨークに帰りたいと
心に決めていたのに、もうそんな夢も抱けなくなってしまった。

正直な気持ちは、まだナゼ?とドウシテ?が
頭を交錯して落ち着けないし悲しく、悔しい。
ルーサーには天国で彼のお父さんと希望通りダンスしてもらいたい。
今まで美しく、素晴らしい曲をありがとう。
私の心の父、ルーサーヴァンドロスに神の御加護を

そして夫と4人全員の子供を失ってしまった
ルーサーの母アイダに深い哀悼の意を伝えたい」


○7月6日水曜日のTheMusicFile Chapter;R&B-HIP-HOPは
 通常の放送をお休みし、病に倒れる直前2003年2月に
 地元ニューヨークのラジオシティ・ミュージック・ホールで行われた
 LutherVandrossのライヴ音源を中心にお送りします。




1951年4月21日ニューヨーク市出身54歳
4人兄弟の末っ子として生を受ける

家族構成は両親、2人の姉と1人の兄の6人家族。
8歳で父親を亡くし以後、次々と兄弟が亡くなりルーサーと
母、メアリー・アイダ・ヴァンドロス2人の生活が長かった。

ディオンヌ・ワーウィックに影響され
13歳でシンガーを志したルーサーは高校時代から
ハーレム、アポロシアターにて現在も毎週水曜日夜に行なわれている
「アマチュア・ナイト」に出演するなど
音楽活動を開始する。

大学進学の為、ニューヨークを離れたルーサーだったが
在学中も音楽に没頭しロマンティクな時間も無かったそうだ。
そんな大学を中退するにあたり
医学を志すルームメイトから「大学を逃げるなんて信じられない」と
かけられた言葉に

「君が医者になり、僕が病気になったら、僕は君のところに
リムジンで乗りつけよう。僕は逃げるんじゃない。夢を追いかけるんだ」
と切り返したエピソードはあまりに有名。

その後、言葉どおり1975年自らがリードヴォーカルを務めたグループ
Lutherを結成し、ソングライティング等も精力的に行うようになった。
そんな中、彼にとって最も激動と言えるであろう1981年
アルバム、Never Too Muchでソロデビューを飾り
以後次々と大HITを連発する。
現在まで16枚のアルバムのセールスが
2500万枚を越えるセールスという事からも
いかにルーサーが長きに渡りスーパースターで在り続けたか
お分かりいただけるだろう。

時を同じくして81年はルーサー自身のソロデビュー以上に
大きな出来事がおこった。
後にルーサーは当時を振り返り次のように応えて興奮を隠さなかった。

「僕が子供の頃、レストランで食事をするアレサを見たら頭に血が上って
彼女が食べるスペアリブでも何でもイイから サインして!って頼んだだろう。
彼女をプロデュースしないかと頼まれた時のショックを想像してごらん!
81年の事だ。覚えてるよ。
椅子に座り彼女を待っていた時、僕の心臓は止まったよ。
彼女は僕を見るなり『ヴァンドロス』と言った。そう、いつも『ヴァンドロス』なんだ。
他に呼ばれたことは無いよ。
そして『私はJumpToItが気に入ったわ。好きにやって
終わったら教えてちょうだい』といわれたんだ・・・」

そう、デビューしたての新人ルーサーいやヴァンドロスにとって
憧れの人物をプロデュースするなんて
出来すぎた話があるだろうか?
それも、ワールド・フェイマスのアレサ・フランクリンである。
当時、少しヒットから遠ざかっていたアレサにとって
この作品が久々の大HITを飾った事も含めて
ルーサーは存在自体が奇蹟な人だった。

1993年、初めてグラミー賞を受賞、2004年までに
実に4回Winnerに輝きソウルトレイン・ミュージックアワードや
BETアワードも含めると
とてもじゃないが全ての功績を紹介しきれる程度の話じゃ無くなってくる。

Hookに力を入れ有能なバックコーラスに主線を任せる手法、
重低音から伸びやかに高音域に抜ける歌声
語尾の余韻が少しハスキーな時が
またたまらなく素晴らしいシンガーだった。
人々がルーサーの手法を真似ても怒るどころか
憧れる多くの若手を積極的にコラボレート相手に指名し
常に自分のスタイルを変えなかった。
それがルーサーヴァンドロスという男だ。

今、彼は幼くして亡くした父を前に
ようやく美声を聞かせる事が出来るだろう。
ルーサーの偉業の数々は多すぎて皆に紹介するには
相当、時間がかかる。
どうか、ゆっくり喉を休めてほしい。

Luther's BIO & NEWS in english
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by musicfile | 2005-07-02 22:12 | Forever LUTHER